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小久保塾は、高校生・高卒生を対象とする大学受験英語の塾です。

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高校生・高卒生の受験英語塾  小久保塾
〒440-0813 愛知県豊橋市舟原町261


   

  

  
 

        

  
かつての小久保塾の塾生たちが 

自分の将来についてどう見つめ、決断し、歩んでいったか

いくつか 紹介いたします。
 





  時習館高校 A君の場合 
   A君は英語が苦手でしたが、塾に来て英語がかなり伸びて北海道大学の判定もC判定になりました。これなら大丈夫だと思っていたのですが、北海道大学・理学部を残念ながら落ちてしまい、後期では確実に合格する大学、ということで愛知教育大学の理科を受けてみごと合格しました。

4年後、教員採用試験と公務員試験の両方にみごと合格し、教員になるか公務員になるかかなり迷って、結局
公務員を選択し、現在豊橋市役所の職員として働いていらっしゃいます。





  
  豊橋東高校 Bさんの場合 

   親戚に臨床検査技師をしている方がいて、Bさんも興味を持つようになり、藤田保健衛生大学を受験し合格しました。卒業後、蒲郡市民病院で臨床検査技師としてご活躍されています。


   

  時習館高校 さんの場合 

   大変な勉強家で、小学生の頃から「勉強が大好きです」という女の子でした。Cさんは小学5年の時、公文に通って英検3級に合格し、英検2級を目指したときに「これまでは丸暗記でなんとかなったけど、ここからは文法を誰かにきちんと教えてもらわなければ無理だ。」と考えて、あらゆる塾に通ってみたそうです。しかしどこも満足な指導がなく困っていました。中学生になって、Cさんは「小久保塾」をネットで見つけ体験授業に来ました。塾では、ニューホライズンの教科書に出てくる英文について、なぜそうなるのか、英文はどういう仕組みになっているのかなど、細かく構造を解説しました。Cさんは心の中で「これだ!! やっと希望通り教えてくれる人に出会った!!」と思いました、とCさんは数年後に笑って話してくれました。

Cさんは時習館高校に進学し、高校3年間小久保塾に引き続き通ってくれました。大学は、東京外国語大学・ポーランド語科に進学しました。Cさんは幼いころからピアノも得意で、ショパンのふるさとであるポーランドに心を惹かれていたので、ポーランド語を選びました。

その後、大学在学中にポーランドの大学に留学し、そこで卒業単位を取り、日本に戻ってさらに東京外国語大学の博士課程後期まで終了し、現在では、東京外国語大学でポーランド語の講師外務省研修所のポーランド語講師などに携わっていらっしゃいます。




 
  豊橋南高校 君の場合 

   ご両親が機械部品の工場を経営されていて、D君は幼いころから機械に興味を持っていました。大学入試では志望校が全滅で、唯一合格した名城大学・理工学部に進学しました。しかしD君は大学入試の屈辱を晴らしたいと思い、名城大学を卒業後、反対するご両親を説得して、豊田工業大学の大学院に進学しました。学費も生活費もすべて自分で稼いで、親に頼らず通いました。大学院を卒業後、自転車のギアなどで世界的に有名な、シマノの開発研究員になりました。
D君の話では
「シマノの大阪の本社には世界からやってきた社員がいるので、一歩会社の建物に入ったら全員が英語で話さなければいけないことになっています。だから、英語を勉強したい人は会社から勉強資金が出ます。でも僕は、研究室に入ったら同僚とは日本語で話しているんです。」ということでした。

旅行好きなD君は、京都を旅行しているときに京都の女性と知り合い、ご結婚されました。





  時習館高校 E君の場合 

   高校では医者になろうと考えていたため理系クラスでしたが、3年の初めごろからテレビドラマの影響で検事になろうと思い、隠れ文系になりました。そしてセンター試験で高得点を取って、センター推薦で名古屋大学の法学部に合格しました。

しかし大学に入ると、法律の道は自分の歩むべき道ではないように感じ、
「やっぱり医者になりたい」と強く思うようになり、大学2年生の冬名古屋市立大学の医学部を試しに受験してみました。力試しのつもりが、思いがけず見事合格しD君自身もびっくりしていました。もともと頭脳明晰、努力家、誠実な人柄だったので、当然と言えば当然の結果です。現在は、医師として活躍されています。





 
  豊橋東高校 Fさんの場合 

   英語が得意で人との触れ合いが好きな社交的なEさんは、「英語が活かせる仕事で、人と触れ合う仕事ができたらいいと思うけれど、具体的にどういう仕事がいいかわからない」と、授業が終わった後よく相談を受けていました。

高校2年生の終わりごろ、私がふとひらめいて
「Eさんは身長が160cm以上あるから、飛行機のキャビンアテンダントがぴったりだと思う。」と伝えると、実はEさんのお父様も数日前、飛行機に乗った時に「娘にはこんなキャビンアテンダントの仕事がぴったりだ。」とひらめいたそうで、Fさん自身もキャビンアテンダントを目指そうと心を決めました。

Fさんの猛勉強によって、国公立大学に余裕で合格する得点をセンター試験で取りました。しかし、キャビンアテンダントになることを最優先し、あえて国公立に進学せず、ANAのキャビンアテンダントを多く輩出している、私立の
同志社女子大学に進学しました。お母様が、「せっかく高得点を取ったのに、なんてもったいない・・」と嘆いていたと教えてくれました。




  
  豊橋豊丘高校 G君の場合 

   野球部に所属し、背が高く、筋肉質でがっちりした体格をもつG君は、3年の夏ごろ、大学を出て警察官になる人生に決めたと話してくれました。「もし警察官がダメだったら、僕は、おばあちゃんの家で農業をやってもいい。農家の仕事も好きです。」と、言っていました。

厳しい野球部に所属しながら勉強は大変でしたが、
愛知大学の社会学部に進学しました。きっと希望通り、警察官になっただろうと思います。





 
  桜ヶ丘高校英数科 Hさんの場合 

   Hさんは小学生のころから、京都に住むのが夢で「京都!、京都!」といつも言っていたそうです。だから、大学は絶対に京都の大学に行くと意気込んでいました。初めはあまりにも英語ができないということで、小久保塾に入塾したのですが、努力家のHさんはめきめき英語ができるようになり、2年生の終わりごろ、「大学を出て京都で外国人観光客に、日本の文化や歴史を英語でガイドするツアーコンダクターになりたい」という夢を持つようになりました。

受験では前期試験で京都府立大学を受験しましたが、不合格になりました。しかし、私立大学の立命館大学(京都の大学)に合格し、国公立は後期試験で受けた金沢大学から合格をもらいました。

「本当は京都の立命館大学に行きたい。でも弟の受験があるから自分が家のお金を使うわけにはいかない。どうしたらいいのか悩んでいます。」という連絡をいただきました。その日の晩教室に来てもらって、夜遅くまでHさんと相談しました。私は「今、京都に行かなければ、一生後悔するかも。ここは立命館大額にすべきじゃないかな。」と話しました。その後ご両親も「お金の心配はいいから、京都に行きなさい。」と言ってくださって、結局、立命館大学へ進学しました。今頃、京都で外国人を相手に観光案内をしているだろうと思います。











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